死に支度と思って生きてる

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重態の恩人とその家族から
「来て欲しい」と連絡があって
病室を訪ねた。

私はこういう時
呼ばれることが幾度もある。
顔が浮かぶのだと言われる。
何年も会っていない人から
連絡が入ることもある。

それから、
「死ぬ時、側で見送って欲しい」
という依頼予約が、
実は、なんと、30人以上いる。
「あなたが側に居てくれたら、
笑ってラクに死ねそうな気がする」
というのがその理由だ。(笑)

ホントかどうか知らないけれど、
頼まれたことは、可能な限り
やろうと思うので、行く。

けど、確かに昨日も、
病室に入れ替わり立ち代り
やって来る看護師さん達が、
「ああ、⚪︎⚪︎さんが笑ってる〜!」
と驚き、珍しがっていた。

笑いながら、その人は言った

「もう、俺ダメなのかなあ?」
「さあ、私には先のことは
何も分かりません。私自身のことだって
一瞬先は何が起こるか
分かりませんから。」と
正直に答えた。

「こんな弱いこと言ってちゃ、
ダメだなあ。頑張らないと!
負けちゃいけないよね…」と
その人は言ったけれど、

「そうですか?いいじゃないですか。
弱いこと言ったって。
頑張らなくていいんじゃないですか?
負けって、何なんでしょう?
私には、よく意味が分かりません。
何があろうと、負けなんて
無いと思いますけど。」

と私はこたえた。
私たちは誰しも、どんな人も、
一瞬先は何が起きるか分からない。
そして何が起きても大丈夫なのだ。
と私は思っている。

たとえ、その一瞬先が
「死」であったとしても。

死は悪では無いし、負けでもない。
ただ、「生」のプロセスの、
変容の一コマなのではないかと
私は考えている。

死を悪いもののように、
負けのように、そういう風に考えるのは、

死に行く人々に失礼だと私は思う。

全ての人が、
死に向かって進んでいて、
私もあなたも、
今ピン ピンしてる人だって同様なのだ。

だから、一瞬一瞬が
「死に支度」だと思って生きようと、
いつからだろう?
私は思うようになった。

いつお迎えが来てもいいように、
今を大事に味わう。
この大いなる「生」のプロセスに
任せ委ねることは、
大きな安らぎを得ることに
繋がるように思う。

レオナルドダビンチは、
「このところずっと、私は
生き方を学んでいるつもりだったが、
最初からずっと、死に方を
学んでいたのだ」と言った。

「死に支度」はつまり
「生き支度」なんだ。
同じことなんだと思う。

そして、「死に支度」という覚悟は、
「生」を輝かせるのではないか?と。

順田ひろみ

【動画】「フーグァ 福をもたらす子」作詞作曲/順田ひろみ

シンガーソングライター 順田ひろみHP

順田ひろみface book

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