私が大人になってから、母から聞いた話しです。随分古い話になりますが、
母が私を身ごもった時、もう既に7人の子どもがいて、その上、更に子どもを産んで育てることの困難さを思い、また周囲への恥ずかしさもあって、母は父に内緒で中絶を考え、農協から中絶資金を借りたそうです。
農協に勤める親戚が、お金を届けに来た時、母は魚売りのおばちゃんと勝手口で盥の魚を捌いていました。
夜になって、ハタとあのお金はどこへ置いたかしらと思い、着ていた服のポケットや辺りを見てもどこにも見あたらない。
お金を受けとったあの時、生魚を触っていた手であったことなど思い返しながら、探す、探す、探す。記憶力は割合いいタチなのに、受け取ってから蔵うまでの自分の動きがどうしても思い出せないことに苛立ちながら、暇さえあれば探す、のだけれど、
どこに行ってしまったのか?探しても探してもお金は、見つからず、そうこうしているうちにお腹の子は中絶できない大きさにまで育ってしまいました。
ならば、何とか流産せねばと、冷たい水に浸ってみたり、フツー流産するでしょ!的なことを幾つも試みたけれど、全くもって効果虚しく。母の気持ちとは裏腹に季節は爽やかな新緑の産み月になってしまいました。
そして、とうとう、なんと、丸々と太った、メチャメチャ元気な女の子が、産まれ出て来たのだそうです。命名ひろみの誕生。6月の雲一つ無い晴天の日曜日のことでした。
それから、半年が過ぎたお正月元旦。母がまだ、しつけ糸がされた真新しいきものに初めて袖を通そうとしたら、袖の袋の中に、あの時の中絶費用と同じ額のお金が、そのままそっくり入っていたというのです。
「なぜ、こんなところにあのお金が?!」自分には心当たりが無く、誰がいつどのようにしてここへ蔵ったというのか?その謎は未だに分からずじまいなのだそうです。
この出来事から母曰く、「生きる子は生きる」。確かに、そう。
小さな私は、「私が頑張って私の力で生きなきゃ!」と考えるけれど、それは、考え違いの可能性があるのです。
だって胎児の時、ベツに、私が、ヒッシになって、「頑張って、産まれ出てやる!」なんて考えてもいなかった訳で。
ただ、
アイ ワズ ボーン。「生まれた」が起きただけです。
誕生ってそんなこと。更に言うと死だってそんなことかもしれません。
つまり、死なないようにと頑張らなくていいし、生きよう!と頑張らなくっていい。そこに力みは要らないのかもしれないということです。
いやいや、それは違うよひろみちゃん!というご意見もまた、それでいいのです。
この歳になると他人の意見がどうあろうと気にならなくなりました。
どんな考えが浮かぼうと浮かぶまいと、
生きる間は生きるし、死ぬ時は死ぬ。
この気づきは、私にとっては朗報でした。
「生かされてる」ことの再発見であり、
しかも、この生は、誰のコントロールをも
超えていることの再発見だったからです。
私は、ただ、生まれたのです。
個人の意思を超えて。かといって、
何らか別の存在の意思だとも私は思いません。
ただ生まれたのです。
意図がない誕生 だからこそ素晴らしいのだし、
目的が無いからこそ美しいのです。
冗談のような、戯れのような誕生なんだもの、
この生は、今も勝手に戯れ続けていると考える方が自然ではないでしょうか。
そうやってこの生というものを眺めるようになって面白いのは、
ある種の自由が渾々と、渾々と、湧いてくることなのです。
順田ひろみ