敗北なんかじゃない。彼女の素敵な旅立ち

今日、友達が旅立った。
50歳。乳癌を患っていた。

虫の知らせってある。
遠く離れていても旅立つ瞬間がわかることってある。

私は、キミワルがられないように
遠慮がちに連絡したつもりだけど、
友人でもある彼女の夫は、
「あ、この人、分かったんだなと思いました。」とあっさり言った。
彼はそういう野性味を自然と受け入れていた。

なんだ、だったらつまらない遠慮なんか
しなきゃよかったと思いながら、
とりあえず、私の身体は新幹線に乗り込んでいた。

迎えてくれた彼女の夫は、私の到着を喜び、
「来てくれたよ!」と愛妻に伝えた。
いつものように。病室のベットに眠る彼女は、
にっこりと笑っているようにしか見えないような表情で、
実に可愛かった。美しかった。いつも私が訪問することを楽しみに待っててくれて、
私たちは、たくさんおしゃべりしたり、歌ったりした。死を忌み嫌う人たちが多いけれど、
その考え方ができないタチである私。
そんな私といると安心する、
静かな気持ちになるのだと彼女は、喜んでいた。死は敗北と考える人たちもいる。
死が悪いものと考えるならば、それが起こることに怯える。

彼女は、恐怖心を煽る人たちを嫌い、
「どう思う?」って私に聞いた。

「それは、その人の意見でしょ。
私はそんな風には考えない。違うと思うな。」って
私は答えた。

「死ぬことより、あんたが怖いよね〜!」と
おととい、亡くなる2日前、私たちは笑った。

死は、究極の癒しだと、私は考えてる。
ちっとも悪いものなんかじゃない。
だから、怖がらなくていい。…と、私は考えてる。

起こることを起るままに。
この生のどの瞬間も、死の瞬間でさえも、いやその後だって、
プロセスを信頼して、任せておけばいいのだと私は彼女に言った。

青虫が蝶になる前にドロドロになる、それ。

水が、雲に変化する前に蒸気になる、それ。

あらゆるものの変化変容のプロセスのうちの、ほんの一点しか、

私たちは知ることができない。

壮大なプロセスが、いまも尚、起こり続けている。

彼女は、「あ、そうだ、あのね」と、近頃あった嫌な出来事を、

腹に貯めないで、「嫌だったんだ」と、吐き出してくれた。
で、それに対する私のコメントに彼女は笑い転げた。

身体は、もう、ほぼ動かない。
でも、「笑い転げる」という表現がぴったりな笑い方だった。
彼女の身に起きた様々な出来事への、
私の感想、コメントが面白いと、
彼女に、とってもウケるので、私のトークも調子付いて、
キレッキレに冴え渡った。「もっと早く、ひろみさんに出会いたかったなあ」 こんな話しをもっと聞いていたら、
そしたら、もっとラクに、苦しまずに生きれたのに。
こんなに体を痛めつけずに済んだかもしれないのに。

そんなことを彼女は語った。

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