ハワイ公演に向けての準備の1つに、衣装がある。
今回、公演2日目に、盆踊り(BONダンス)のやぐらの上でも歌うので、
ゆかたも良いかな?と、考えた末に、
せっかくだからと、大島紬、夏大島を、着ることにした。
ところで、
今時の若者のバイトと言えば、
どんなものが主流なのだろう?
私の時代、都会では、コンビニとか、
ファーストフード店だった。
そして、我ふるさと、徳之島には、当時、
そのどちらも存在していなかった。
当時のご当地バイトとしては、
さとうきびの収穫やら、運搬のバイトがあった。
そして、大島紬の機織りのバイトなるものもあって、
高校生だった6つ上の姉もやっていた。
私?
私は5回位真似ごとをしたことがあるけれど、
何せ、おてんばの私は、剣道三昧だった。
島の女達の、機織りの音は、
あの頃はまだ、そこ此処で聞かれて、
生活の音だった。
パターン、パタンパタン
パターン、パタンパタン
と、リズミカルで、優しい、音色は、
私たちへ、何がしかの、養分となって、吸収されていた。
…と、思う。
私の母方の祖母の姉は、機織りの名人で、数々の見事な作品を残した。
90歳代で亡くなる直前まで、
大島紬を織り続けて、素晴らしい大往生な旅立ちだった。
素敵な女性だった。
自立した精神性。懐の深さ。愛の深さ。知性。
そんなものが、漂うヒトだったなあと、
今となっては、そのカッコ良さに、
敬慕の念が深まる。
うちには、お勉強がもの凄くできる遺伝子が、
ポツリポツリ出現するのだけど、
多分、このおばあちゃん達の系統なのだと思う。
高等な教育は受けてはいないはずだけど、
このおばあちゃんも、祖母も、明晰で、素頭がいい。
そんな人達だった。
島の女たちは、機を織りながら、
どんなことを思っていたのだろう。
いまのこの時代を、私たちを、
どんな風に見るだろう。
そんなことを思いながら、
丹精込めて紡がれた夏大島を、
更に更に、引き立てたくて、帯や、
帯紐を選んでいる。
髪飾りや諸々、夜なべしての手作りも、愉しい。
ハワイの人々に、世界中の人々に、
そんな島の女たちの愛も、
共に届けられたら、いいなあと
思うのである。
順田ひろみ